SSブログ

カナエヨアキノユメ ①~1995年春季キャンプ [GBA2005エッセイ]

(『カナエヨアキノユメ ~回想』より続く)

 はじめてのプロ野球キャンプ見学

 その友達、加奈恵さんは私よりひとつ年上で、実際に顔を会わせたのが1994年のオープン戦。それ以降はだいたい女性4人でシーズン戦を一緒に観戦する事になり、オフのイベントも参加した。学生時代はただ試合を見るだけで、選手と接する機会がなかったというか知らなかったので、何だか新鮮な感じがしてとても楽しかったです。

 

 1995年2月――私がはじめてプロ野球のキャンプを見学した年である。

 横浜ベイスターズの1軍キャンプ地は沖縄にある宜野湾球場。前年はフリーエージェントで巨人から移籍した駒田徳広選手が加入するも、チーム打撃成績がリーグ2位(.261)、チーム投手成績がリーグ4位(3.76)、69勝61敗 勝率.469で首位と9.0ゲーム差の最下位という残念なシーズンを送ってしまった。それだけに選手の練習もよりいっそう力が入っていただろう。

 いつものメンバーのうち一人が都合がつかなかったので、加奈恵さん、私より3つ年下のEちゃん、私の3人で沖縄入りした。宿泊先は球場に近い方が良いというので、球場すぐそばのホテルに泊まることになった。2泊3日の行程だっただろうか。

 この年はJリーグのキャンプ地が沖縄で実施されていることが多かったらしく、宿泊先のホテルにはベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)の選手が宿泊していた。Jリーグ全盛期だったこともあり、レギュラー選手ならば少しは知っていた程度の私。

 とある日の朝食時、私たちが座っていたテーブルの隣に「テル」こと岩本輝雄選手が一人で来て、まだ起きたばかりというぼ~っとした感じで席に着いた。

 「あそこにいる人、『テル』だよね?」

 いまいち自信がなかった私は仲間に問いかけた。EちゃんはJリーグに詳しい方だったのだが、じーっと見るわけにもいかなかったので確信が持てなかったらしい。そのうちに他のチームメイトがやって来て、やっと確信が持てた位だった。

 「テル、『おはようございます』は?」

 まるで母親が子供に言うような優しい感じで声をかけた選手。どうやら岩本選手より先輩らしいのだが、さっぱりわからなかった。

 「…おはようございます」

  まだ眠いらしい(笑)。

 他にベルマーレ平塚といえばスキンヘッドの田坂和昭選手を知っていたが、当時ケガだったのかどうか忘れたがどうやらこちらには来ていない様だった。

 当時、横浜ベイスターズは那覇市内のホテルに宿泊していた。選手達の移動はバスだったが、那覇市内から宜野湾まで約30分かかってしまい、渋滞に巻き込まれる事もしばしばあって大変だったので、翌年からはこちらの宜野湾での宿泊になった。2軍(現湘南シーレックス)の宿泊先が宜野湾の球場に近い事もあるので、入れ替え時にも便利であるからだろう。

 

 彼女たちは昨年も来ていたのでかなり慣れた様子。しかし、私ははじめてのキャンプ見学とあって、かなり舞い上がっていた気がする。

 9時半前後に選手たちが到着。10時頃には球場で体を慣らし、ある程度の時間が経つと投手と野手に別れて練習する。室内練習所、バッティング練習用の室内練習所、ブルペン、サブグラウンド等…。

 加奈恵さんは野手の練習を見るので球場に残り、Eちゃんは投手を見るのでブルペンへ移動。さて困った。彼女たちは一番好きな選手をメインに見ようと絞り込んでいる。だが私の場合は、誰が一番かなんて決めていなかった。しかも投手と野手にそれぞれ好きな選手がいるのだから、やはり両方いや、好きな選手全員の姿を見たい。

 当時の私が好きな選手…投手は岡本透投手(現湘南シーレックス投手コーチ)と田辺学投手(97年引退)。野手が駒田徳広選手と畠山準選手。この頃は既に「ベテラン」選手だったけど、彼らが20代の頃から応援していたので、「(好みが)渋い」なんてよく言われ、かなり傷ついた事もあった。あまり言われたくはなかったなあ…(涙)。ただ単に長く応援していただけだし。

 今までプロ野球選手の練習風景は、試合前のビジター球場でしか見る事が出来なかった。94年に秋季練習をはじめて見たのだが、1軍レギュラー選手全員がそろっていたわけではなかった。キャンプがファンにとって、プロ選手の練習見学を満喫が出来る唯一の機会であったと思う。

 試合前の練習は打撃しか見る事が出来ない(神宮球場は外にブルペンがあるので、投球練習も見る事が出来ます)から、せっかくだからと思いブルペンに行ってみた。

 キャンプ地でのブルペンは普段はなく、キャンプ用に設置したものである。宜野湾のブルペンは緑色のシートで囲まれており、外から見る事が出来ない。だが、当時は関係者用の扉が開放されていたので、ファンはそこから中には入らずにのぞくような格好で見学が出来た。たまに知らないで中に入ってしまう地元のファンも見かけましたが…(汗)。運悪いと、中にいる報道スタッフで見えない時もあるが、だいたいはこの扉からピッチング練習を見る事が出来たので、普段では味わえない体験で感動しまくりである。ブルペンは5人位まで選手が同時に入るようになっていて、扉側にいる投手の投球は物凄い迫力を感じる。

 

 ブルペンの前に室内練習場があり、出入口ではファンや報道陣が選手が出てくるのを待っている。田辺投手が出てきたので写真撮影をお願いした。快く引き受けてくれて、ドキドキしながらシャッターを押した。お礼を言って、Eちゃんと合流した。すると、Eちゃんは

 「一緒に(2ショットで)撮ってもらえば良かったのに」

  と残念がった。

 「ええ~っ! 緊張しちゃうよ~!」

 と言いつつ、次は2ショット撮影にと意気込む私。岡本透投手が出てきたので、頼んでみた。

 「こんなカッコでええか?」

 岡本投手は神戸出身なので関西弁(神戸なまり)。よく見ると両手にスパイクを持っていた。だけど私は物凄く緊張していたので、「ハ、ハイ…」としか答えられずにそのまま撮影。カメラを持ってくれたEちゃんが笑っていたのだけど、その時は何でかわからなかった。後日、写真を見ると岡本投手がスパイク持ちながら腰に手を当てているポーズだった。そうだったんだ。気が付かなかった。この年の6月下旬に、日本ハムファイターズへトレードされたので最後の2ショット写真になりました(前年の秋季練習でもお願いしたので2枚目になる)。

 それで調子にのって、今度は駒田徳広選手に2ショット撮影をお願いした。

 「入るかなあ…」

 と心配されていた。私との身長差が35cm位もあるのでレンズに入るのだろうか。写真を見るとちゃんと駒田選手がかがんでくれたおかげで、ばっちりと撮れていた。

 

 夕飯はホテル内で食べたのが殆どで、特に無国籍料理のお店で食べたのが印象に残っていた。 今現在はこのお店は既にないのだけど、ここで食べたミーゴレン(インドネシア料理の焼きそば)がとても美味しかった。今でこそアジア料理店が都心にたくさんあり、こちらで食べる機会がありそうだけど、当時は少なくとも私の周りではなかったので、美味しいミーゴレンを食べる事は今後もうなかった。

 料理といえば、驚いた事があった。昼にひめゆりの塔へ行った際に近くの食堂で『ちゃんぽん』を頼んだ。てっきり、九州方面なので長崎のちゃんぽんを想像し期待して待っていたのだけど、実際に運ばれた料理を見て唖然とした。白いご飯の上に野菜炒めのあんかけがのっていたのであった。いわゆる『中華丼』である。確かにちゃんぽんの意味は混ぜ合わせるという事なのだけど…。

 様々な珍道中(?) ではあったけど、キャンプ見学のみならず仲間との楽しい時間を過ごす事が出来て、とても良かったです。

横浜ベイスターズ’95選手別応援歌

横浜ベイスターズ’95選手別応援歌

  • アーティスト: ザ・ベイスターズ
  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 1995/04/05
  • メディア: CD

(『カナエヨアキノユメ ②~1995年開幕戦』へ続く) 

人気blogランキングへの投票をお願いします。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:GBA2005エッセイ

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。